伊勢神宮が成立した11代垂仁天皇の頃、すなわち4世紀後半に、それまでは非常に親密であったヤマト(日本本土)と沖縄の関係が断絶した。その証拠が奈良、伊勢、尾張を中心に存在する。
奈良と伊勢を結ぶ街道沿いに、幾つか著名な前期古墳がある。それらの古墳に特徴的な物は、実に沖縄を象徴する物品なのである。
前期古墳とは、古墳時代の前期に作られた古墳であるが、その判定基準は、古墳に供えられた物の種類にある。
たとえば有名な三角縁神獣鏡。女王国の卑弥呼が中国の魏(ぎ)の国からもらったとも云われるカガミである。カガミと共に、というより、カガミ以上に古墳時代前期に重要視されたらしいのが腕飾(わんしょく)類と云われる物。すなわち腕輪の形をした石製品である。幾つかの種類があるが、代表的なものが、鍬形石(くわがたいし)と石釧(いしくしろ)。
これらは日本では唯一、沖縄の海底から採れるゴホウラとイモガイいう巻き貝がその起源である。このことは考古学的に完全に証明されている。大型のこれらの巻貝は、およそBC100年からAD350年頃までの間、約450年にわたって、九州から東北地方の南部にまで時間を追って次第に普及し、カガミ以上に重要な物と考えられた。
しかし、それらの鍬形石は、伊勢神宮の成立した頃、すなわち4世紀後半に、捨てられるようにして墓に埋められるのである。それ以降は、奈良を中心とする畿内からは出てこない。親密であった沖縄との関係が途切れて、敵対関係になった証拠と私はみている。
沖縄の貝の形が捨てられるように埋められた古墳が三重県嬉野町にある向山古墳や筒野一号墳。大正年間に車輪石や石釧が出土している。また三重県上野市の石山古墳の粘土槨内からは、大量の石製腕飾類(鍬形石、石釧など)が出た。これらの古墳はいずれも奈良と伊勢とを結ぶほぼ直線の上にあり、しかも築造年代も垂仁の時代、すなわち記紀にあるアマテラスの伊勢鎮座の頃(古墳時代前期末)であると推定される。
「伊勢は常世の国の波は幾重にも押し寄せるところだから、私はそこに居りたい」とアマテラスは云われた。太平洋の黒潮にのって、沖縄からの波が寄せるところが伊勢だ、と解釈すれが、上の考古学的常識に合致する。伊勢と沖縄、また天皇家と沖縄との縁は意外に深いのである。真の歴史が失われて年久しい。