歴民講座(7)において、鍬形石のことをとりあげた。原初のヤマト国家成立の頃には、沖縄と近畿とは政治的にも深い関係にあったことを述べたのであるが、それは尾張・美濃・三河などの中部地区と沖縄との関係についてもあてはまる。下記ページ参照http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/kantouzusetu/top.zusetu%20.html
ところで、沖縄と尾張・三河との関係については、弥生時代より前の縄文時代にさかのぼるというから驚きである。豊橋市にある縄文時代晩期(約2500年前)の水神貝塚から、沖縄産の巻き貝の腕輪が出ているというのである。http://www.toyohaku.gr.jp/bihaku/kaiwa.htmには、その南海産腕輪の写真付きで次のように記述されている。
豊橋市牟呂(むろ)水神町に所在する水神貝塚(第2貝塚)からは、奄美大島より南でしか採れないイモガイで作られた珍しい貝輪が出土しています。
水神貝塚(第2貝塚)の発掘調査は、平成4~5年にかけて行われ、貝塚全体が調査されています。
南海産貝輪は、貝塚南部の上層である31層(縄文時代最終末樫王式期)の貝層中に径1メートルほどの範囲で散在して出土しています。全部で5個体が出ており、南海産のイモガイを縦に裁断して研磨して作られ、大きさは長さ約10センチメートル、幅約7センチメートルのものです。
南海産貝輪は、弥生時代の巫女などの特権階級が好んで装着していたと言われ、北部九州を中心に分布しています。当館(豊橋市美術館)の所蔵しているものは、縦型のタイプでは分布の東端になります。
貝塚の所在地である牟呂(むろ)や水神という地名も気になるが、「尾張地方から縄文時代に沖縄産のイモガイ」とは信じがたいと云わなければならない。というのは九州においてさえ、縄文時代の南海産巻き貝というのは報告がなく、南海産腕輪の出る時代は弥生時代というのが今までの常識である。それが何故、いきなり尾張で、しかも縄文時代であろうか。大きな謎である。私は縄文晩期という時代認定に問題がないかどうか、疑っている。しかし仮に弥生時代前期の誤りであっても、なお大きな驚きをもって見るべき「考古学的事実」なのである。