浦島太郎の話は、『日本書紀』の他にも多くの文献にみられ、その伝説も全国に分布し、なかでも丹後半島の京都府伊根町、香川県詫間町などが有名である。
この浦島伝説は、実は2000年前の沖縄と日本本土との政治的事件を反映したものであることはほとんど知られていない。(というより、私の邪馬台国「赤椀の世直し」説でもって初めて解明できるものと思っている)。ここでは神奈川県の伝説を主体に述べよう。
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~yu-walk/minwa-12.htm
に載っている伝説をまずそのまま紹介する。
遠い、むかし。
三浦の里に、水江浦島太夫(みずのえのうらしまだゆう)という人がいた。 あるとき、太夫は、太裡(たいり)という仕事につくため、 妻と太郎という子をつれて、丹後の国へと旅立った。 何年かたち、太郎がすっかり若者らしくなったある日、小舟で海へ出て、 釣りをしていると、亀がかかってきた。それは、五色にかがやく珍しい亀だった。 だが、太郎は、そのふしぎな亀が、 かわいそうになって、そっと海へもどしてやった。しばらくして、太郎がふと気づくと、舟の中には美しい女の人が立っていた。 その人は、
「わたくしは、先ほど助けていただいた亀です。 あなたのやさしい心に、 お礼をさしあげましょう」
といって、太郎の手をとり、蓬莱山海若神都(とこよのくにわだつみのみやこ) というところにある、美しい宮殿につれていった。 その宮殿は、竜宮(りゅうぐう)とよばれていた。
花が咲きみだれ、音楽がひびいている竜宮で、太郎は楽しい日をすごした。 あっという間に三年の月日が流れ、父母が恋しくなった太郎は、ある日、 竜宮に別れを告げて家に帰る、といった。
美しい人は、悲しそうに別れをおしみ、一つの箱をわたすと、
「また、この国に来たいと思うならば、決してこの玉手箱を開いてはなりません」
といった。
太郎は、かたく約束をして竜宮をあとにした。 蓬莱山海若神都(とこよのくにわだつみのみやこ)を出ると、いつの間にか、 太郎は丹後の国に帰っていた。
だが、家のあったところは川原になり、山は海になり、何もかも荒れはて、 村はすっかり変わっていた。 その上、知っている人がだれもいなかった。 太郎が一人の老人のところへ行って、両親や家のことをたずねると、 老人は、太郎のいうことがよく分からないらしく、しばらく考えていたが、 やがて、
「何百年もむかしの話だということで、はっきりしないが、 浦島太郎とかいう釣りの好きな男が、舟で海に出たまま帰ってこなかったという。 お前さんの話は、そのころのことらしい」
というのだった。
この話において、神奈川県のことが丹後の国と関係付けられて語られている理由は、幾つか考えられる。一つには、権威ある文献で浦島伝説が丹後国のこととして書かれているためであろう。この中に「蓬莱山海若神都(とこよのくにわだつみのみやこ)」とある。これによっても、以前に書いた海幸・山幸の話(名護オジの歴民講座5)とほとんど同じモチーフであることが分かる。神武天皇の祖父にあたる山幸彦が行く先は、薩摩半島から一日かかる海の国であり、それは奄美・沖縄にほかならなかった。
紀元0年頃から350年頃までの間、沖縄と日本本土は親密な関係にあった。日本国家がいかにして誕生し、そしてその国家の基礎ともなった常世国、沖縄との関係が切れたということが伝説の形で残っているのである。伝説には、その関係の途切れた理由は述べていない。沖縄の神歌から推察すると、それは、原初ヤマトが「世直し」、すなわち革命を容認し、しかも女性の宗教的権威を尊重する政権であったからであろう。上のHP には「竜宮にいたのは三年のはずだったが、丹後の国では三百四十七年もたっていた」と述べられている。
「三百四十七年」には偶然とは思えない正確さがある。日本本土の中心部で出土する沖縄由来の遺物の年限は、およそ350年、九州では600年くらいである。古代のある時期、沖縄と日本本土とはかくも長く、親密であった。