2003年06月12日最終位置

2003年06月12日の旅日記

「沖縄に来た古代新潟のヒスイ(名護オジの歴民講座12)」

 日本本土の古代遺跡から、ヒスイ製の勾玉(曲玉:まがたま)が多数出土している。その原石のヒスイは新潟県、姫川支流の小滝川, 青海川が産地である。ヒスイは新潟県の他にも長崎などでも採れるが、古代の曲玉は何故か新潟産だけが利用されたらしい。
 ところで、曲玉を多量にしかも長期に渡って実際に神祭りに使用してきた地域は琉球・沖縄であった。私の生まれた村では、女性神役のノロが今でも5月ウマチー(祭り)に使っている。普段の日には村に有力にさえ公開しない。日本本土では、古墳時代にその伝統が途絶えているのに比べると驚嘆すべきことである。沖縄のノロの曲玉は、その材質が滑石のものが多いがヒスイ製もある。曲玉は日本で造られたものであるから、沖縄の曲玉も日本本土製であることは明らかである。弥生時代の典型的な曲玉は、その形が北部九州で完成したものとされている。
 それが何時の時代に沖縄に伝えられたかは、確かな証拠を上げるのは難しい。しかし、その北部九州で曲玉が盛んに使われた時代に、沖縄から盛んに運ばれたものは、例のゴホウラ貝である。そのことから判断すると、貝を採りにきた人たちがその代価として沖縄に持ち込んだ主なものが曲玉であったと考えられる。曲玉と共に九州からもたらされてものは、それだけではなかった。
 北部九州の弥生時代中期と言えば、有名な吉野ヶ里遺跡の時代である。須玖式土器と呼ばれる赤い土器が作られ、お墓に納められている。この赤い土器が曲玉と共に沖縄にも伝えられた。沖縄の神歌に言う「ヤマトから下った赤椀の世直し」とはこの土器のことであろう。ヤマトから来た赤い器物とは、この須玖系土器以外には考えられないからである。
 この系統の土器が知念村の斎場御嶽から出ている。地層は異なるが、ほとんど同じ場所からヒスイの曲玉で出た。このヒスイは新潟産であることは、間違いないと思われる。
 多くの人は、沖縄が初めて日本の一部になったのは1609年の薩摩進入以後のことと信じている。琉球を主な研究対象とする歴史学者でさえそう思っているのであるから、やむを得ないこととは思う。しかしその常識は誤っている。紀元前100~200年頃から紀元後350年頃までの沖縄は、倭国の重要な一部であった。日本本土を慕う沖縄のノロの神歌、曲玉などはそれを証拠立てるものである。