2003 年 3 月 のアーカイブ

舞い上がってしまった一日デシタ

2003 年 3 月 31 日 月曜日

私が九州を抜けて本州入りした8月頃、SOHO関連の雑誌の誌面に取り上げて頂いたことがあった。担当された小河さんとメールのやり取りで”東京に行った際にはご挨拶に伺います”と約束をしていた。東京入りにあたり、久しぶりにメールを遅らせて頂き、再会することができた。そしてさらに、、、

待ち合わせの14時、地下鉄神保町駅近くにある株式会社サイビズ。7F入り口で男性が出迎えて下さった。メールのやり取りだけでお会いしたことは無かったがスグに分かった。「小河さんですね?」「はい。こんにちわ!」

中の来客室へ通していただき、小河さんと同じく編集の安藤さん、そして編集長の前田さんがいらして、名刺交換し、ご挨拶。「やっと伺うことができました(笑)」

「先日お話した件ですが・・・」小河さんから話が切り出された。車をIT仕様に改造なさっている斉藤さんとおっしゃる方と対談をするという内容で数ページぐらいの特集だそう。「本誌の読者層は会社員からの転職を考えている方が主。その方々を対象にSOHOの楽しさを伝えて頂ければ幸いです」と前田編集長。撮影日等の大まかなスケジュール打ち合わせが済んだあと、小河さん、安藤さんと食事に出た。

「SOHOとして大して成功しているわけでもないのですが、、対談など、、」弱気なワシに「旅を実現させたことがひとつの成功といえるのでは?」と小河さん。なるほど、何をもって”成功”とするかなんスよね。取材に対し少し気が楽になった。感謝。

ハンバーグ定食を頂きつつ、いろいろな話で盛り上がり脱線しまくり。(安藤さんがまさか○○とは、、、ククク)楽しく過ごせました。ゴチでした。ではまた取材の日に!

そのまま地下鉄で東銀座駅へ。神奈川でお世話になった土山さんの奥さん”ぶん”さんと会ってきた。土山さんは”釣りバカ日誌”で知られる松竹株式会社で照明の責任者をされている方。ぶんサンは土山夫人。(お二人とも職場は一緒だったんスね~)だんな様は今度の釣りバカ日誌のロケ地、高知県に行かれているらしく不在。今回は”ぶん”さんとの再会になった。

「もしよければ見学に行く?」松竹のオフィス”東劇”の中に入らせて頂ける事になった。やた!!ドキドキで中に入る。

「この板は音の反射を抑える為で・・・」製作の仁多見さんがいろいろと説明をして下さった。やはり実際に現場をみるととても勉強になるス(^^)録音室の隣の撮影室でもスタッフの後藤さんが実際にフィルムを切り貼りするところを見せて頂いた。どもです!

「今、監督がいらっしゃるみたい」ブンさんが耳打ち。たまたまフロア内に「たそがれ清兵衛」の山田洋次監督がいらっしゃった。が、当然話しかけることは出来ない(涙)近くを通りチラチラと見ただけ。ま、しゃあないスよね。いつか向かい合って話ができるようになれたらいいな。と願いつつ、東劇ビルを降りた。館内で時間を過ごしすぎてぶんさんとご飯を一緒できなかった(ブンさんすいません(^^;)、、)

晩には沖縄で知り合った大久保さんと再会することができた。今回は大久保さんの友人数名も一緒。合流する前から残りのメンバーで飲み始めていたようだ。

しかし変わったメンバーでした。”お金が全てよ!”と実際に口に出してまで言っていたちえサン。さっきグァムから帰ってきたばっかりの自称”姫”ことゆうこサンのお互いの足の引っ張り合いが特にオモロかった。

帰る直前。最後の最後に大久保さんサシで話ができた数分間。お互い多くを語らずとも「頑張っている事」分かり合えた気がする。見送る車で、普段クールな大久保さんが帰りの車で周りを気にせず手を振り大声でエールを送ってくれたこと。マジうれしかったス。また会いやしょ。イェイ。

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1枚目:左から小河さん、安藤さん、前田編集長
2枚目:ハンバーグ300g!ゴチでした。
3枚目:東劇内にて。録音室の中
4枚目:フィルムのカットをさせて頂いた
5枚目:編集担当の後藤サンと土山さん
6枚目:中央、製作の仁多見さん
7枚目:東銀座の歌舞伎座
8枚目:大久保氏、ワシ、坂本氏、ゆうこサン
9枚目:大久保氏の友人、ゆうこサンとちえサン

沖縄出身の新城卓監督

2003 年 3 月 30 日 日曜日

香川県で偶然会った義理の叔父さん名護博さん。香川を発った後でもいろいろな形で私の旅を助けて頂いている。(この場をかりて感謝致しますm(_ _)m)東京入りするにあたり、今回沖縄県出身の映画監督、新城卓さんを紹介して頂きました。突然のアポだが大丈夫だろうか、、

「初めまして長田と申します・・はい・・可能であれば今日にでも・・・はい、16時ですね、はい。突然スイマセン、では後ほど・・」

新宿駅を降り近くの散策も良かったが、折角新宿まできたのならと、まだアポを取れてなかったが”ダメもと”で新城宅事務所へTELしてみたところ今日の16時に会って下さることになった。よしゃ!時計を見る。今13時。代々木八幡の駅までは頑張れば歩ける距離。よし!歩いて行こう。

向かう途中、都庁を見てきた。近付きすぎるとカメラに入らない。でも遠すぎると障害物が多く全景を撮影できない、、「さすが日本一。。」都庁の広場で休憩がてら都庁を眺める。

待ち合わせ場所についたのは15時。駅の入り口向かい側で昼飯。今朝、健一の奥さんえいこが作ってくれたおにぎりとコロッケ、デザートのいちごを食す。うまかった(^^)

一息ついてあたりを散策して時間調整した後。「もしもし、いま近くまで来ていますが、よろしいでしょうか?・・はい、奥から数えて2件目の3Fですね、はい。すぐ参りますー。」階段を上がり事務所へ。「初めまして。長田と申しますー」

「初めまして。」石原慎太郎原作の「秘祭」を手がけたことで知られる新城卓監督である。忙しい中時間を割いて頂いた。自己紹介も兼ね、私の旅を思い立ったわけや経緯なども紹介。あらかたご理解頂けたようだ。

お話の中で「業界に入って修行を積めばいろんな意味で幅広く自分を鍛えることができるだろう」何度も繰り返し口にされていた。私の旅についても「沢山の人と会うことは非常に有効だと思う」と、自身に繋がる一言を頂けた。

なんとか次に繋げたいと、相談したところ、新城監督が出入りされている日本映画学校の見学をさせて頂くことになった。ありがとうございまいした!また後日!握手を交わし分かれる。

晩、健一宅へ戻る。私がリクエストしたキムチ鍋を用意してくれていたが、帰りが遅くなった為、皆は先に済ませていたが、私がキムチ鍋を食べた後に入れたうどんは皆が付き合ってくれた。

「ほんとうに助かったス有難う」3日間お世話になった健一宅を出る。かえでちゃんを抱っこした健一が車まで見送りに来てくれた。もうすぐ3歳のかえでちゃん。普段と違う雰囲気の”バイバイ”に気づいたのか、涙をにじませる。少しだけ涙をもらいそうになったところで車に逃げ込み健一宅を発った。

家庭や子供、守るものができた健一が大きく見えた。何から何まで世話になった。感謝する。農林水産省だったけ?沢山勉強してこいや!また会おうぜ!

23時過ぎ、健一宅の武蔵村山市から東へ約15キロ、小金井市にある会社の社員寮へ向かった。不破さんは私が大阪に済んでいた頃に同じ職場にいた方。「社員寮のゲストルームが空いているから」と3日分も宿を押さえてて予約して下さったようだ。

久々の再会、不破さんの部屋でお酒を交えながら、遅くまで話は続いた・・・

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1枚目:JR立川駅
2枚目:新宿駅南口前(だったかな?)
3枚目:東京都庁
4枚目:代々木八幡駅前。にぎりを食う
5枚目:新城卓監督と「秘祭」をバックに
6枚目:サクラが咲き始めた。春だね~
7枚目:不破さんと再会。お世話になりやす

いい運動!?

2003 年 3 月 29 日 土曜日

冬の間、寒くてなかなか出番の無かったが、最近からたびたび登場の折りたたみ自転車。今日はいつも以上にがんばったけど、、、。

朝、健一一家は家族でドライブに出かけた。私は午前中PC作業、午後には足を伸ばし都内中心部まで行く予定を立てた。健一一家より少し先に家を出、車から折りたたみ自転車を引っぱり出し、近くの市立図書館に入るもコンセントを使わせてもらえず、バッテリーが切れるまでの1時間ほどで作業を区切り図書館を出てモノレールの駅へ向かうことにした。

「この先、、そうです。2つ目の信号です。左に折れて突き当たりを右に10、、15分位だと思います。、、はい、もちろん無料駐輪所です。」

近所の主婦の方だろう。親切に駅までの道を案内してもらった。運動不足が慢性化しつつあるこの頃。ちょど良い運動だ。

「東京出身の人でもここ武蔵村山市を知らない人結構いるわけ、東村山に間違われたり」健一は言うが、でもやっぱり東京、賑わい方が他の地方とは比べられない。自転車をこぎながら町並みを楽しむ。

”20分くらいは経つよなぁ、、ま、ゆっくり漕いでるし、、、”

さほど気にならず更に先を進む。

”30分、、。さっきの主婦が言っていた「15分」ってのは車の場合のことを言ってたんかなぁ”

強引な解釈で先へ進むことにした。

「・・・オカシイ!」

サスガに1時間近く進んでいれば到着しているハズ。犬の散歩をしていた主婦に聞いてみた。

「まだまだカナリ先ですよ、」

「えー!そうなんスかぁ、、まだまだ先かぁ、簡単で結構ですので、道を教えていただけますか?」

「ええ。まずはココをUターンしてー・・・」

!?、、考えたくなかった事。しかし、うすうす感づいていた事だが、通り過ぎていた。しかも結構な距離(涙)教えてもらった通り来た道を戻った。

最初に道を聞いた場所から10分とかからないような場所だと思う。なぜ見つける事ができなかったのかが不思議なくらい分かりやすい場所に上北台駅はあった。駅に入り口まで行くが、、

「今日は(電車乗るの)やめとこう、、」

夕方に近付いてきた為。現地へ行っても、ゆっくりと時間を取れそうにないと判断。散策は明日に変更してトボトボと車へと戻っていった。トホホですわ、、

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1枚目:多摩モノレール上北台駅
2枚目:健一となつき
3枚目:かえ(カエデ)ちゃん

健一夫妻と再会(子供達とは初対面)

2003 年 3 月 28 日 金曜日

昨晩、体調を崩し、そのまま体がダルい感じで起床。空は快晴だってのに体調は曇り気味。今回、旅をしてて最短となる4日目で山梨を発つことにした。

「雨が降った次の日なんかは良く晴れてきれいに見えるよね!」昨晩、頭痛にうなりながら寝袋に潜るときに、静岡の亀ちゃんが言っていた言葉を思い出す。

今朝、目覚めと同時にだるい体をよじって窓の外を見る。「やった!快晴!」それだけでも体調が良くなった気がするもんだ。大きく伸びをして車を出す。

駐車場を抜けて坂を上ると、沢山の雪をかぶった富士山が迎えてくれた。何度見てもいいもんだなぁ~(^^)

静岡に滞在中、亀ちゃんと見に行った富士山が初。そのときは快晴だが次の予定が押していて時間切れでUターン。。2回目は、2合目まで行けたが残念ながら天候に恵まれず、、そして今回、3回目は”キレイ&近い”とオイシイとこどりの状態。いやぁ、良かった。登ることが出来れば言うことなしだけど、仕方無し。とりあえず富士山については「ご馳走サマ」て感じです。

子供の頃、飛行機とか電車とか、いろんな乗り物に憧れを抱いたものだが、実は私、いまだに「リニアモーターカー」と聞くと、何かしら”ワクワク感”を覚える。”磁石で浮いて走っていく”ってのがとてもオモチャに近い感覚なのだろう。(そう言っちゃ関係者に失礼かも知れませんが(^^;))てなわけで、山梨から東京へ向かう途中にあるリニア見学センターへ行ってきた。

「げげー!またやってもうた(涙)」徳島の鳴門海峡で渦潮を見逃したときのことが頭よぎった。センターへの到着が15:35分、実験の終了時間が15:30とギリギリアウト(涙)

「もう終わったんでしょか?」線路の近くに立っていた男性に聞いてみると。「さっきまではバンバン走ってましたけど」、、クゥーーッ(涙)

無料見学できるセンター内の見学者の署名のところに”見れなくて残念ス!”と書き残して山梨県を発った。

高校時代の同窓生で大阪在住の”てっち”は旅をしている途中で再会を果たしている。今回も同じく同期の、健一&えいこサン夫妻(二人とも同期なんスよ)に会うことが出来た。

21時半ごろ、武蔵村山市の自宅前に迎えに来てもらい、再会を果たす「おいーーっす!」「全然変わらんナァ、、」荷物を取り出し部屋へ向かう。

「長女カエデはもうすぐ3歳、長男ナツキは去年の7月生まれだから、、」
「げ!てことは、俺が旅に出てから生まれた子なんだ(笑)」

部屋に入り、くつろいでいると二人の子供とえいこサンが迎えてくれた。ナツキはワシが九州に居る頃生まれたんだぁ~。あらためて旅をしている時間の長さを思い知った。

沖縄には年1回くらいのペースで帰省していること、家族のこと、会社のこと、自分のこと。えいこサンが暖めてくれたシチューをすすりながらいろんな話をした。そういや健一とこういう話をしたことってあまり無かったなぁ。話し込むうち、いつのまにか日付も変わり、2時前。

「明日、かえでの病院の予約を入れに行かないと、、そろそろ寝よう
ワシも布団を敷いて寝るとしよう。。

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1枚目:河口湖付近から見た富士山
2枚目:山梨県リニア見学センターにて
3枚目:見学センター内
4枚目:健一、えいこ夫妻とかえで&なつき
5枚目:かえで、ハム太郎かぶってます

武田信玄とその一族の墓へ

2003 年 3 月 27 日 木曜日

これまで、宮本武蔵、坂本竜馬など、誰でも知っている歴史上の人物のゆかりの地を歩いて来たが、今日もそんな一人と会ってきた。

山梨県丁から東北へ15キロ程進んだところには戦国時代を代表する武士、武田信玄の眠る恵林寺がある。恵林寺は一度、織田信長に火をつけられ全山焼き討ちにあってしまうが、後に徳川家康によって再建されている。

「ここでいいや、、」お寺正面の入り口が分からず、適当に車をとめて”恵林寺→”と矢印の指す方向へ歩いていくと、年季の入った立派な門が見えてきた。これが、四脚門、別名”赤門”と呼ばれるもので、信長の火打ちを幸いにして免れたものである。門をくぐり中へ入った。

石畳の先、正面には三門と呼ばれる黒い門がある。両方の柱にはそれぞれ、左「安禅不必須山水」、右「滅却心頭火自涼」と書かれている。これは、織田信長を裏切った快川国師が信長に焼き討ちをされるときに唱えたもの。「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」の言葉は有名スね。(実は私、その言葉は知ってても快川国師の事はぜーんぜん知りませんでした(^^;)いまだによー知らん)

三門をくぐり、美しい境内を進み、寺の奥へ進むと信玄の墓があり、そこを大きな木々が周りをやさしく包んでいた。順路に従いスリッパのまま外へ出る。信玄の墓の裏へ続く歩道を行くとそこには武田一族の墓が並んでいた。信玄の墓も含めて墓全体に木漏れ日が程よく差込み、鳥のさえずりが聞こえていた。”癒し”という言葉がぴったり当てはまるような空間だった。

「とても寂しいところですが、、よろしければ、、」県庁の榊原さんの言葉が無ければ全く知らなかった景徳院(けいとくいん)。恵林寺を出て道の駅へ向けて南下する途中で寄る事にした。

山梨県大和村。ひっそりとした場所に景徳院はあった。門をくぐり、崩れ掛けた階段を上ると途中に首のない地蔵さん、没頭地蔵尊があった。そこには自害して首をなくした武田勝頼、夫人、武田信勝の三人が埋葬されているといわれているそうだ。更に上りきったところには木の柵で囲まれた三人の”生害石”があった、、

織田信長、徳川家康の大群に追われ、「ここまで!」それぞれがその場所で自刃(生害)したといわれる石、”生害石”。長年続いた武田一族はこの場所で滅び去ったのです。さぞ無念だったことでしょう。影殿(甲将殿)の裏に並んだお墓をまわって、天目山を降りた。

更に南下して道の駅「かつやま」へ到着。すごく気持いい!電波の入りも良好!今晩の宿場が決まった。しばらく近くを散策し見つけたコインランドリーで選択を済ませる。

雨の晩、体調を崩してしまい、偏頭痛にうなりつつ、寝袋に潜った。。

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1枚目:四脚門、通称”赤門”
2枚目:三門
3枚目:武田不動尊像
4枚目:武田信玄の墓
5枚目:「風林火山」の軍旗は有名
6枚目:景徳院
7枚目:左から、信勝、勝頼、夫人の墓
8枚目:手前から信勝・婦人・勝頼の生害石
9枚目:道の駅「かつやま」