武田信玄とその一族の墓へ
これまで、宮本武蔵、坂本竜馬など、誰でも知っている歴史上の人物のゆかりの地を歩いて来たが、今日もそんな一人と会ってきた。
山梨県丁から東北へ15キロ程進んだところには戦国時代を代表する武士、武田信玄の眠る恵林寺がある。恵林寺は一度、織田信長に火をつけられ全山焼き討ちにあってしまうが、後に徳川家康によって再建されている。
「ここでいいや、、」お寺正面の入り口が分からず、適当に車をとめて”恵林寺→”と矢印の指す方向へ歩いていくと、年季の入った立派な門が見えてきた。これが、四脚門、別名”赤門”と呼ばれるもので、信長の火打ちを幸いにして免れたものである。門をくぐり中へ入った。
石畳の先、正面には三門と呼ばれる黒い門がある。両方の柱にはそれぞれ、左「安禅不必須山水」、右「滅却心頭火自涼」と書かれている。これは、織田信長を裏切った快川国師が信長に焼き討ちをされるときに唱えたもの。「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」の言葉は有名スね。(実は私、その言葉は知ってても快川国師の事はぜーんぜん知りませんでした(^^;)いまだによー知らん)
三門をくぐり、美しい境内を進み、寺の奥へ進むと信玄の墓があり、そこを大きな木々が周りをやさしく包んでいた。順路に従いスリッパのまま外へ出る。信玄の墓の裏へ続く歩道を行くとそこには武田一族の墓が並んでいた。信玄の墓も含めて墓全体に木漏れ日が程よく差込み、鳥のさえずりが聞こえていた。”癒し”という言葉がぴったり当てはまるような空間だった。
「とても寂しいところですが、、よろしければ、、」県庁の榊原さんの言葉が無ければ全く知らなかった景徳院(けいとくいん)。恵林寺を出て道の駅へ向けて南下する途中で寄る事にした。
山梨県大和村。ひっそりとした場所に景徳院はあった。門をくぐり、崩れ掛けた階段を上ると途中に首のない地蔵さん、没頭地蔵尊があった。そこには自害して首をなくした武田勝頼、夫人、武田信勝の三人が埋葬されているといわれているそうだ。更に上りきったところには木の柵で囲まれた三人の”生害石”があった、、
織田信長、徳川家康の大群に追われ、「ここまで!」それぞれがその場所で自刃(生害)したといわれる石、”生害石”。長年続いた武田一族はこの場所で滅び去ったのです。さぞ無念だったことでしょう。影殿(甲将殿)の裏に並んだお墓をまわって、天目山を降りた。
更に南下して道の駅「かつやま」へ到着。すごく気持いい!電波の入りも良好!今晩の宿場が決まった。しばらく近くを散策し見つけたコインランドリーで選択を済ませる。
雨の晩、体調を崩してしまい、偏頭痛にうなりつつ、寝袋に潜った。。
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1枚目:四脚門、通称”赤門”
2枚目:三門
3枚目:武田不動尊像
4枚目:武田信玄の墓
5枚目:「風林火山」の軍旗は有名
6枚目:景徳院
7枚目:左から、信勝、勝頼、夫人の墓
8枚目:手前から信勝・婦人・勝頼の生害石
9枚目:道の駅「かつやま」
